最近、2025年7月に大きな災いが起こるということが、大きな話題となっています。
発端は、2011年3月の東日本大震災を予言したといわれるたつき諒さんが、当の予言書とされる「私が見た未来」の復刻版(完全版)を出版し、そこに、「本当の大災難は2025年7月にやってくる」と記載されていたことです。
具体的な日付が示されたことにより、その日付をターゲットとしたさまざまなアプローチからの予言が次々とあふれ出て来ており、作者のたつき諒さんの思いとは別に、人々の不安が助長される結果となっています。
そこで、ここでは「私が見た未来」(初版)が世に出るまでのいきさつや、その後、東日本大震災の発生を経て、作者のたつき諒さんがどのような思いで復刻版(完全版)を出版するに至ったか整理してみました。
たつき諒さんの思いを汲んで、どのように行動すべきか、考える一助となれば幸いです。
「私が見た未來」について
実際に「私が見た未來」(完全版)を購読し、また、2022年の「文藝春秋」でのインタビュー記事等を拝見した結果をもとに、作者のたつき諒さんがどのような思いで出版されたのか、整理してみます。
「私が見た未來」(初版)が世に出るまで
「私が見た未來」(完全版)のなかで、夢日記を書き始めるに至った理由や、初版が世に出るまでの経緯について、たつきさん自身が詳細に述べられています。
たつきさんは、印象的な夢は目が覚めても忘れないことがあり、何か意味があるのかもしれないということで、漫画家デビュー直後の1976年ころからメモを取り始めていました。
ただ、メモのままではいつ見た夢かもわからなくなると思っていたおり、お母さまからまっさらなノートをもらい、それをきっかけとして、1985年ころから夢日記として記録するようになったとのことです。
ただ、あくまでも夢日記は私的な記録で、見た夢を元に自身の精神状態を分析するためのものでした。
なお、夏の日に津波が起こるという夢は忘れられないほどの衝撃だったため、夢日記を始める以前の1981年頃には、すでに作品として発表しようと下書きもされていました。
ただ、体調不良により中断していたようです。
1999年当時、大津波の夢を見たのでマンガにしてほしいとの投稿が多いことを担当の編集者から聞かされ、それをきっかけに「私が見た未來」という作品を描き上げることとなりました。
折しも、たつきさんはマンガのネタを生み出すことに苦労されており、引退することを決心していました。
それを担当の編集長に伝えたところ、すでに発表した作品もまとめて単行本にしようということになり、夢日記を基にしたマンガも収録したうえで、「私が見た未來」の初版として世に出ることとなりました。
単行本の表紙絵は、締切前日にはほとんど出来上がっていましたが、一か所だけ空白のままの部分がありました。
まさにその夜、「大災害は2011年3月」という文字が真っ白な背景に表示されている夢を見たことで、空白だったところにその文言を書き、表紙絵が完成しました。
外れた時のことを心配して編集者は難色を示していましたが、たつきさんはそれを押し切り、そのまま出版される運びとなりました。
「大災害は2011年3月」以外の主な夢の内容
「私が見た未来」には、表紙絵の「大災害は2011年3月」以外に、いくつかの夢とその後の顛末について記載されており、主なものは以下の通りです。
ここでは、夢を見た月日と現実に発生した月日が一致するものもあれば、象徴的な内容の夢もあり、また、旅行先の記憶が夢に作用していると思われるものもあります。
つまり、夢はそもそも現実そのものを見せているわけではないことになります。
したがって、夢で見た内容に対して”当たった”とか”はずれた”とか評価するのは適切ではないと判断します。
①フレディマーキュリーの死
1976年11月24日、大好きだったQUEENのボーカルのフレディの死を知らせるニュースの夢を見る。
1986年11月28日、QUEENの映画か何かのメイキング画面の中にボーカルのフレディがいないという夢を見る。(直接的に死を知らせるものではない)
1991年11月24日にフレディが亡くなったことをニュースで知る。(日本での報道は11月28日)
②戦時中の防空壕跡での殺人事件
1989年8月27日、大きな空洞の中で女の子が座っている夢を見る。
1990年8月、近くのN公園に散歩に行ったときに、夢と同様の空洞を発見する。(戦時中の防空壕跡)
翌週のニュースで、N公園で女性の頭と胴体が発見されたとの報道があり、衣服や特徴が夢の中の女性とまったく同じ。
③伯父(母の兄)の死
1993年9月14日に、びわ畑を4人で歩いて行くと、かっぽう着を着たおばさんが怒鳴っている夢を見る。
ちょうど1年後の9月14日、ブドウ畑を通って伯父の葬式に行くことになった。
夢判断では、”びわ”は悪いことの前兆、そして”怒鳴る”というのは警告を意味しているとのこと。
④赤ちゃん人質事件
1995年10月、目のぱっちりした1~2歳のかわいい赤ちゃんの夢を見る。
1995年12月、郵便局に刃物を持った男が押し入って1000万円を奪い、友人宅に赤ちゃんを人質に立てこもるという事件が発生。
赤ちゃんが夢とそっくり。
⑤友人Mさんの失恋
会ったこともない男の人から、「彼女、嫌いじゃないけど恋愛感情はもてない」と相談された夢を見る。
その翌月、友人Mさんから、夢と同様のことを言われて失恋したという連絡を受ける。
見せてもらった男の人の写真が、夢の中と同じ。
⑥ダイアナ妃の死
1992年8月31日、お城の中で赤ちゃんを抱いた女性と「DIANNA」という文字を夢で見る。
前年には、イギリスへ旅行し、王室の宮殿も見学している。
1997年8月31日、ダイアナ妃は、パパラッチによる追跡の後、交通事故で亡くなる。
⑦富士山大噴火
1991年8月20日 富士山が大噴火し、逃げている夢を見る。
2002年5月27日 梅畑から遠くに富士山が見える夢をみる。(噴火なし)
2005年6月11日 セスナ機で富士山の火口を真上から見て、きれいな死火山と思った夢を見る。(噴火なし)
たつきさん自身は、噴火の夢は世界恐慌やパンデミック等によるパニックを象徴しており、実際には大噴火は起こらないと感じておられるとのこと。
東日本大震災の発生
「私が見た未來」(初版)の出版から12年後の2011年3月11日に東日本大震災が発生しています。
ただ、すでに「私が見た未來」は絶版となっており、たつきさん自身も書いたことを忘れていたことを「文藝春秋」のインタビューで述べられています。
つまり、「あの夢の年月どおりだ」とは思わなかったそうで、震災後にインターネットに載っていたとの情報もありますが、その時はあまり拡散されずに終わったようです。
なりすましの登場とたつき諒さんの思い
2020年、「やりすぎ都市伝説」というテレビ番組で、表紙の予言が当たったと紹介された後、たつきさんのなりすましが出現し、新たな予言をするなど予言者のように振る舞いだしています。
たつきさんになりすました偽物による予言の主なものは以下のとおり。
・阪神淡路大震災も夢で見た
・尾崎豊の死を予知していた
・富士山が2021年8月に大噴火する
・コロナウィルスによるパンデミック
たつきさんはしばらく静観していましたが、偽物の言動は徐々にエスカレートしていきました。
偽物による復刻版発行が予定されるなど一線を超えたと感じたころ、たつきさんから発行元の飛鳥新社に連絡を取り、偽物による復刻版発行を中止させました。
その後、たつきさん本人による復刻版発行が急ピッチで進むこととなります。
ただ、今回も発行直前に、1999年の時と同様、映画のスクリーンのようなところに黒文字で「本当の大災難は2025年7月にやってくる」と表示される夢を見ています。
(夢を見た日は2021年7月5日の朝4時18分と記録あり)
なお、復刻版である「私が見た未來」(完全版)のあとがきには、「夢を見た日が現実化する日ならば、次にくる大災難の日は、2025年7月5日」ということになります。」とのコメントがあります。
夢で見たのは「2025年7月」という年月のみですが、このことが日付まで特定して流布される要因となったようです。
そして、今回は、日本とフィリピンの中間あたりの海底がポコンと破裂(噴火)する様子が夢に出てきたようです。
その結果、太平洋周辺の国に、東日本大震災の3倍はあろうかという大津波が押し寄せ、その衝撃で陸が押されて盛り上がり、周辺国が陸続きになるという壊滅的な被害をもたらすように見えたとのこと。
不思議なことに、震源地に向かって、2匹の竜が向かっていく映像も同時に見えたようです。
また、今回と同様の夢は、1998年のインド旅行の際にも見ていたようで、初版発行時は「大災害は2011年3月」という具体的な日付の夢も見ています。
これらのことは何らかの形で頭に残っていたのではないでしょうか。
それが、今後発生し得る災害への備えを促したいとの思いと相まって、2025年7月という日付と海底の盛り上がりの夢をたつきさんに見させたのではないかと推察します。
なお、夢で見た内容が実際に発生し得るものかどうか調べたところ、以下のことがわかりました。
・日本とフィリピンの中間あたりはプレート中央部なので大地震はほとんどない。
・火山活動も多くはプレート境界で生じる。
・フィリピン海の中央には目立った火山はないので噴火も考えられない。
・津波の衝撃で陸が押されて盛り上がることはなく、あるとすれば巨大隕石による「地殻津波」などが考えられるが、地球の生命が滅亡するレベルなので、備えるのはムリ。
したがって、夢で見た通りの状況は想像しにくく、もし発生した場合は地球規模のもので、対策が取れるレベルのものではありません。
また、今回見た夢は「大災難」であり、「大災害」とはなっておりませんので、直接的な自然災害では無いことを示唆しているようにも解釈できます。
さらに「私が見た未來」(完全版)には、大津波の後に訪れる新たな世界として、「地球全体として、すべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしている」というイメージが見えていることが記述されています。
このことがたつきさんの真の願いであり、何が発生しても、それをみんなで乗り越えて光り輝く未來を迎えたいという思いがひしひしと伝わってきます。
2025年7月に関する諸々の予言についての考察
ここで、「私が見た未来」(完全版)にて「2025年7月」という具体的な日付が示された後に登場した予言について、主なものを列挙し、それぞれの発生の可能性について整理してみます。
占星術による予言
7月1日~24日は七曜陵逼(しちようりょうひつ)という時期にあたり、世の中全体で波乱やトラブルが起こりやすく、すべての人が警戒すべき期間とされているようです。
また、7月5日は海王星が逆行を開始する日であるとのことで、「だから何?」とは思いますが、重要な惑星の動きが起こる日であるため、何らかの変化が起こる可能性はあるとされています。
ただ、過去に占星術で災害発生が的中したという事例はほとんど無いようで、あまり心配はいらないのかなとは思います。
物理学者による隕石落下の予言
物理学者の保江邦夫氏がTOLAND VLOGのYouTube番組にて、裏付けは取れていないものの以下の情報を得たと述べられています。
それは、使用期間が終了した古い長方形の人工衛星を、隕石ということにして台湾とフィリピンの間ぐらいに落とすというものです。
それも7月5日の午前4時(台湾時間)くらいに。
そのとき、何が起こるかというと、アメリカと中国間の密約により、中国の人民解放軍が台湾を侵攻するというシナリオのようです。
台湾時間の7月5日の午前4時は、アメリカ東部時間の7月4日午後2時で、独立記念日のパレードが終了して浮かれている頃。
そのため、アメリカは当然、軍隊を出動させることは不可能で、これが台湾を助けない言い訳になるとか。
ただ、アメリカも政権が代わってその密約は意味のないものになったとのことです。
密約の有無は不明ですが、敢えてこのタイミングを狙って侵攻するという行為は、そもそも中国が台湾を所有する正当性は無いということを証明しているようなものです。
また、アメリカの信用は当然失墜するため、アメリカと中国双方にとってメリットは無く、心配はいらないのかなとは思います。
太陽フレア
2025年7月頃、太陽フレアによって、通信機器やGPS、携帯電話が使えなくなる等の影響が出るという情報が巷で流れています。
折しも、日本時間の2025年3月29日0時20分にX1.1フレアが発生したことが、総務省所管の「宇宙天気予報」にて公表されましたが、日本では夜間であったため通信障害は発生しませんでした。
太陽フレアはX線の強度により、A、B、C、M、Xの5段階に分けられ、Xが最も規模が大きいとされています。
また、アルファベット後の数字が大きいものほど規模が大きく、したがって、今回は数字から言えば最大とはいえないものの、Xに分類されるということでかなり大規模なものであったといえます。
結局、2025年は約11年周期で迎える太陽の極大期にあたるため、今後もいつ太陽フレアが発生するかわからず、一般の人が対策を講じるのは現実的に厳しいようです。
結局、2025年7月に何か起こるのか
上記の予言を見ていくと、いずれも発生する可能性が極めて少ない、あるいは対策の取りようがないものであり、あまり心配しない方が精神衛生上よさそうです。
大日月地神示にも、「日本は元より世を治めてきた因縁深きところのため、日本から光を顕わす」とはっきりと述べられています。
したがって、壊滅状態になるほどの災害は発生しないのではないかと予想します。
ただ、日本はもともと自然災害が多く、東日本大震災のようなものはいつ発生してもおかしくないとは言えます。
大日月地神示については、以下の記事で詳細を解説していますので参考にしてください
2025年7月に向けて行動すべきこと
最後に、2025年7月に向けて行動すべきことについて、災害と災難の両面から整理してみます。
自然災害としての側面
「私が見た未来」(初版)発行当時は2011年3月という日付があまり注目されず、結果的に多くの人が気づかないままその日を迎え、結果として大変大きな災害となりました。
外れた時のリスクを覚悟してまで日付を表紙絵に盛り込んだたつきさんとしては、いったんは忘れていたものの、なにか心に引っ掛かるものがあったであろうことは想像に難くありません。
このことはたつきさんのせいでは決してありませんが、2020年に予言が当たったことが注目されだしてからは、その思いが前面に出てきたのではないかと推察します。
「文藝春秋」のインタビューでも述懐されていますが、たつきさんとしては、2011年3月に大災害があるかもしれないと多くの人が思っていたら、人的被害も少なくできたはずという思いがあるようです。
それがまた具体的な時期を示す夢を見ることにつながったものとも解釈できます。
すでに記したように、2025年7月は、そもそも有効な対策が取れないものを除き、災害が発生する有力な根拠は見当たりません。
ただ、日本はもともと自然災害が多いため、警鐘を鳴らしてくれたたつきさんに感謝しつつ、2025年7月を防災対策見直しのいい機会ととらえるのがよろしいかと存じます。
日本に住む人々が足並みを揃えて、この機会に地域のハザードマップや備蓄状況等の確認をしておくことが、災害発生時への大きな備えになると思います。
人的災害としての側面
「私が見た未来」(完全版)で2025年7月5日という具体的な日付が示されたことで、その日に何か事を起こす不届き者が現れないとも限りません。
その場合、事を起こすのは7月5日当日でないと意味が無いといえますので、準備期間を考慮してその数日前から不審者についてアンテナを張っておく必要があると思われます。
このようなことに対策が必要なのは非常に腹立たしいことですが、7月5日という日付が独り歩きしている状況では、巻き込まれないように注意を払う必要はあると思われます。
災難としての側面(暴走していますのでご容赦ください)
2025年7月28日は参議院議員が任期満了となるため、7月中には選挙が行われる見通しです。
場合によっては衆参同日選挙の可能性もあります。
結果、国民の多くが望まない組み合わせで連立政権が組まれるとしたら、それはそれで大災難といえると思います。
2011年3月の東日本大震災当時は、現在とは異なる政党が政権を握っており、どのようなスバラシイふるまいを見せていたか、今でも鮮明に記憶しています。
その際に中枢におられた人たちの多くは、今でも後継政党にてご健在であり、それはそれで喜ばしいことです。
ただ、選挙結果により、連立政権の一角として与党に復帰するとなれば話は別です。
大災難(国難?)とならないよう、まずは皆さん投票に行って、民意を反映させましょう。